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いわなの日記 2015年5月1日〜6月30日

◆2015年3月1日〜4月30日



2015年6月30日(火)
 今日で6月が終わり。
6月はするすると終わった。仕事をしていた時、6月は永遠に続くであろうかと思われるように長かったのに、今年の6月はあっけなく終わった。それでも、振り返ってみると、タイムを読む会に参加したり、長編小説、『ブラック・ダリア』を読了したり、英語多読指導者講座に2週連続参加したり、5月9日(金)から読み始めた英語多読本が百冊に達したり、けっこうガッツリ読んでいる。

2015年6月29日(月)
 私は臆病な牡蠣。
今までの数十年、ずっと外に出て社交に尽くしたけど、もう人と交わることに疲れた。これから残りの人生は殻に引きこもって生きていく。とHメオパシーの授業で言ったら、「でも、この授業に来てるやん」とT内さんに言われる。そうだった。交流も好きなんだ。引きこもりが好きなのと同じくらい。牡蠣なりにパッカーンと殻が開いた気がする。T内さんも自称牡蠣。慈愛に満ちている。

2015年6月28日(日)
 教育の目的は…。
「生きるって、楽しいよ」と教えること。再び、ぢんさんのぶろぐ(6月26日(金)付け)。ぢんさん、あなたって人は…。追っかけしてきてよかった。さて、いつの間にか、競争に巻き込まれ、もっと優秀であらねば、もっとできるはずと自分を追い込み、自分を責め、これは本来の私じゃないと苦しみ、どんどんウツになった。違うよね、十分、自分らしくて、魅力的だった。愛されていた。ただ、忙しくて本を読む時間がなかったから、退職して正解とは思う。ゆっくりしている私はもっと魅力的。

2015年6月27日(土)
 あ、あ、あ、あ、
6月25日(木)のぢんさんのブログ。私がずっと、無意識に目指してきたものはこれだったんだ。今、ちょっと興奮。ずっともやもやして、うまくことばにできなかったことをズバッと説明してくれている。仕事の成績が悪いから、馬鹿にされたり、「無能」の烙印を押されている気がして、悔しくて仕方なかった。

 でも、私、あれでよかったんだ。見張るのでなく伝える。伝えるは心を開く。けっこう心を開いていた。けっこう楽しんでいた。それなのに、ずっと自分を「ダメ人間」「失格」と思っていた。何て馬鹿!やっと「罪」から解放された。やっと自分が許された。長い間、自分を許してていなかった。無礼な若モンなんか、気にする必要なかったんだ。

2015年6月26日(金)
 何食わぬ顔で生きる。
みっともない自分を責めず、ありのままに受け入れ、もうくよくよしない。常に目の前の出来事に集中し、今この時を存分に楽しむ。心を閉じているわけではない。自分を許しているから、むしろ、心は解放され、ありのままの自分でいられる。そしたら、反論されても、自分が否定されたと思わず、穏やかに率直に「私はこう思う」「私はこう感じる」と言い返すことができるはず。言いたいことを行ったら、それ以上執着しないですむはず。

2015年6月25日(木)
 罪悪感を持たない。
これをモットーにして生きるのは、けっこう難しい。今までやってきたことを振り返ると、余りのみっともなさに命が縮むほど恥ずかしい。私が悪いんです、全て私のせいですと言う方が楽。振り返ってみれば、子どもと時からずっと謝り続けてきた。いい子だっただなんて、とんでもない。楽をしたかっただけ。過去にどんなにみっともないことをしても、何食わぬ顔をして生きていく。決して楽ではない。でもがんばる。考え方の癖を直すんだ。

2015年6月24日(水)
 英語多読教材。
語数が多くなると、登場人物も多くなり、時々ストーリーを見失う。「易しいオックスフォード・リーディング・ツリー・シリーズ(文字ゼロからスタート)と他の英語本を同時進行で読むとよい」と 多読講座の I 藤先生。速読ではないので、挿絵もじっくり味わって読む。レベル3(1,300語レベル、総語数1万語)が多読を一生の楽しみにできるかどうか最大の山場だそう。まだ、レベル2(800語レベル、総度数5,000語以内)でも、けっこう手間取る。

2015年6月23日(火)
 ぢんさんの講演会へ。
講演は半分寝ていた。退職の決意をするまで、どれほどぢんさんのことばに背中を押されたか…。退職してからの私は毎日が土曜日の午前中、つまり「あ〜幸せ」。だからか、寝てしまった。問答のところでガバッと目が覚める。

 質問者の質問は切実、答えの出ない(答えのわかっている)問いを堂々巡りに繰り返す、無限ループに入ってしまっている。それでもぢんさんは応戦し、同じ答えを繰り返す。考え方の癖を直す練習に付き合っているみたいだ。同じ答えでも千回繰り返してあげるのが愛。質問した人たち、ほんのちょっとでも心が軽くなれただろうか。

2015年6月22日(月)
 物語を読み耽っても脳が喜ぶ。
だから多読はウツ対策に効く。ウツとは脳のフリーズ、再起動するには、集中し、無我の境地になるとよい。それには物語の世界に入り込むとよい。不思議なんだけど、本の世界、活字の世界がいい。テレビや映画もいいんだけど、お腹の収まり具合がおかゆのように頼りない。本を読むと、ご飯をしっかり食べたような腹応えが残る。ズシリとした安定感、情報が血肉になった感じと言うか…。

2015年6月21日(日)
読むことに集中すると、脳が生き返る。
最初はわからなくても、何度も繰り返し読み、少しずつ薄雲が晴れるように文脈が見えて来た時、心は落ち着きを取り戻し、お腹に力が漲り、何よりも脳が喜んでいるとわかる。じっくり時間をかけて読もう。繰り返し読もう。読むことは情緒を安定させる命綱ではないか。

2015年6月20日(土)
 朝から凄まじいフラバ。
働いていた時の不快な記憶が蘇り、久しぶりにアカン。ほぼ無意識に英文雑誌タイムを取り出し、読み始めた。数回読み返し、やっと文脈がつかめた頃、気持ちが落ち着き、フラバ収まる。集中して読み、文脈を追うと、脳が喜び、フラバも収まる。フラバとは心の持病のようなもの、まあ、久々に発作が起きたってことですわ。

2015年6月19日(金)
 何があった?の続き。
膝の痛みが改善した。整形外科に行くのをやめ、自分でケアしようと決めたものの、しばらく不調だったのが、突如、軽くなる。考えられる理由:1.膝特集の雑誌を参考に、膝マッサージと膝体操(膝ブラブラと膝摺り足)。2.ゆるフワケアで習った筋肉ゆるゆる体操。3.雑誌の広告を見て注文した駿楽という膝サプリ。4.ホメオパシーのレメディ。5.治そうと思わず、この不調のおかげで、今までの偏った生き方を見直し、人生のやり直しができると感謝。

2015年6月18日(木)
 「5回は書き直せ」。
翻訳者、Y本光伸氏のことばが、突然、頭に響き、訳文も、英作文も、時間がある限り、5回を目標に書き直すことにした。何度も書き直すことにより、ことばへの執着度が増し、英語がズシリとお腹に溜まる手応えを感じ、少し進歩が実感できた。今まではホンマいい加減だった。何でも同じだなあ、徹底的に繰り返すことで、質の変化が起きる。パティシエはひとつの技を習得するのに千回練習すると言うし…。

2015年6月17日(水)
 何があった?
全く英文が読めなくなっていた私に変化!なぜか、読めるようになった。新幹線の中でE.B.ホワイトのStuart Little (児童書ですが)がすいすい読め、タイム誌も読めた。頭の中の英語回路が蘇った感じだ。考えられる理由:1.多読教材を5月から読み始め、今、60冊読了。2.ヘミングウェイの短編を一度全訳した後、音読10回した。

2015年6月16日(火)
 昨日の続き。
「多読をやっていると、何となく内容が取れてしまうから、内容を問う穴埋め問題は難なくできる。でも、大学受験用の文法を勉強をし始めると、内容を取る勘が鈍り、英文が読めなくなってしまうと訴える生徒あり」と、進学校の先生。わかる気がする。文法問題ができても、英文を読む力とは全く関係ないと私自身が実感し、苦しんできた。

2015年6月15日(月)
 先週に引き続き、英語多読セミナーへ。
全くゼロから多読講座を始めるには、まず、教材と場所(できれば機器も)を確保すること。多読は「教え導く」のでなく、あくまで「支援」、読もうとする人を応援し、一緒に読み、一緒に楽しむ気持ちが大切と言われ、はっとする。「教えねば」とまた悪い「上から目線」になっていた。英語の世界を楽しむために、いっぱい創意工夫をすればいいのだと気づく。

2015年6月14日(日)
 昨日の続き。
英語の勉強も同じとはっと気づく。集中して英語を聴いたり読んだりすると、その時は英語がお腹にズドンと収まったような充足感があるが、しばらくすると、ふわふわと飛散し、実感がなくなる。また、やる、また、実感、また、消える、この繰り返し。いくらやっても手応えが持続しないままに年月が経過。でも、ふと思う、これが英語学習者として健全な姿。これでいいんだ〜。これを一生繰り返す。

2015年6月13日(土)
 ゆるフワセミナーにて。
「筋肉をゆるめても、すぐ元に戻るなら、ゆるめる甲斐ないのでは?」という質問に対し、「戻るということは動いているということ。そこに可能性がある」と言われ、なるほど〜と腑に落ちる。動いている(ダイナミック)ことが大事。生きているとは動いていること。行きつ戻りつしても、動いている限り、どんな状態でも健康、少なくとも快方に、生きる方向に向かっている。無理やりでも動いた方がいい。

2015年6月12日(金)
 50代女性が運動せずに1年間で26キロ減量。
神レシピ、最後のダイエットとも呼ばれているダイエット方法を見つけた。本当だろうか、証拠写真を見る限り本当のようだ。何をやっても痩せなくて、あとは断食か脂肪吸引しかない(?)と思っていた私に朗報。ブログあり。

2015年6月11日(木)
 このドラマ、早めに終了。
働く女性の苦労がいちいち身につまされ、毎週、楽しみに見ていたのに…。視聴率が悪かったらしいが残念。お色気シーンは無くても、良心的ないいドラマだった。ラストの終わり方も感動。見直したのが主役のW辺麻友ちゃん。視聴率の悪さとか、例の総選挙でも3位落ちだったり、こてんぱんに叩かれただろうに、笑顔にも貫録が出て、たくましくなった。辛い時ほど成長する。

2015年6月10日(水)
 医者は治療法を示してくれるけど。
治してはくれない。治すのは自分の治癒力と腹をくくれない人は、すぐに治らないと、医者を責め、医者を変え、医者を恨む。結局、自分次第なんだと腹をくくれない人は、自分を肯定できない人、つまり自己不信の人ではないか。逆に自分の治癒力を信じることができたら病気は治るらしい。このセミナーに申し込む。

2015年6月9日(火)
 昨日の続き。
「多読にはexposure(英語にさらされること)が大事。しかも、exposure を実感することが大事」と講師の I 藤先生。実感できた時、ことばの意味が、使われる背景ごとズドーンと腑に落ちるらしい。今、多読用の教材(やさしい英語で書かれた本)を毎日読んでいるけどイマイチ exposure が実感できていない。速読じゃないんだから、焦って文字ばかり追わず、物語の世界を味わうことが大事なのかも。

2015年6月8日(月)
 映画を使った英語多読セミナーへ。
映画だから多読というより多聴かも。S井先生の突っ込んだ解説が楽しく、行った甲斐あった。字幕ばかり見てると、英語の音声を聴いてないし、画面も見ていない。字幕を読んでいるだけ。字幕なしで映画そのものを、画面も音声も含めて味わい鑑賞することが大事。「字幕付き映画で英語のリスニング力が伸びた人、見たことないでしょ」と言われる。そうだなあ…。

2015年6月7日(日)
 昨日の続き。
「これ、と思った英文を50回音読せよ」という天の声が聞こえる。そうだ、ヘミングウェイの Black Ass at the Crossroads を50回目標に音読してみよう。戦争の話なので、戦闘場面、殺し場面あり、心痛む。でも、繊細な描写もあり、何度読んでも飽きない。

2015年6月6日(土)
 ヘミングウェイの短編、Black Ass at the Crossroads。
邦題『十字路の憂鬱』を訳してみた。翻訳家、Y本光伸氏の『誤訳も芸のうち』の巻末練習課題。一文が簡潔、凝った構文が無くて助かる。それでも時制ミス、代名詞ミスなど誤訳多く、あきませんなあ〜。最後のオチのところ、even も誤訳。ここを誤訳するとこの短編の意味ないじゃんというくらい肝心なところだ。これを読解力の無さと呼ぶ。

2015年6月5日(金)
 2年前に買って、キツキツだったスボン。
2年ぶりにはいてみた。やっぱりキツキツ。この2年間何をやっていたんだ、私は。漫才師、Hイヒール・モモコさんがやったというイメトレ・ダイエットをやってみようかと思う。一ヶ月後、大好きなイケメン俳優とデートすると想像し、一ヶ月で8キロ痩せたそうだ。本当だとしてもリバウンド凄そう。

2015年6月4日(木)
 今でも蘇る、職場のフラバ。
最後の最後に、屈辱的な思いを与えてくれた豚顔のS本(20代、女性)の言動を思い出しては、心がどす黒く染まる。そんな時は基本形を思い出そう(6月1日の日記参照)。あの女のせいで、自分の仕事人生は惨めに終わったと呪うのでなく、あの女のおかげで、我が身を振り返り、より視野が広くなったと感謝し、フラバをプラスに転じる。結局、思考の癖を変えることが大切(とわかってはいる、できてはいない)。

2015年6月3日(水)
 英語雑誌Tを読む会へ。
近所でやっているのを発見。新しい場所に飛び込む勇気が無くて、ずっと躊躇していたが、勇気を出して見学に行った。「毎日が英語漬け」と言うP氏を中心に、話があちこちに飛び、他のメンバーも活発に意見を言い、面白かった。一歩踏み出す勇気の結果、あ〜、何て幸せなんだろ。

2015年6月2日(火)
 Hメオパシーの授業へ。
「退職して、何やってるの?」と聞かれ、思わず、「ボランティアで翻訳を少々」と返答。ホンマはそんなにやってない。はずみで答えてしまったが、「すごいね」と驚嘆され、「Hメオパシーの本を訳してよ」と言われ、俄然、やる気が出る。そうだ、それを目標に英語がんばろう。

2015年6月1日(月)
 同じ病気になっても…。
「何で自分だけがこんな目に遭うんだ」と自分の不運を呪い、自分だけが不幸だと嘆き続ける人は病気が治らない。逆に、病気のおかげで、人生を見直すきっかけとなり、前より幸せになったと思える人は病気が治る。精神科医、K沢先生の本より。この基本形を忘れないようにしよう。

2015年5月31日(日)
  自己啓発セミナーの場合。
幸せな人生設計とか、大富豪への道とかがテーマの場合。大金をはたいてセミナーに参加しても、「その後、何も変わらない」と嘆く人(私もか)。または講師を転々とし、いろんなセミナーに参加し、セミナー参加が趣味になる場合もある。好きな歌手のコンサートに足繁く通うみたいに。それが趣味ならいいんだけど、講師に不信感を持ち、講師を恨む人がいる。「胡散臭い」と警戒したり、「インチキ宗教家」「詐欺師」呼ばわりする人もいる。

2015年5月30日(土)
 昨日の続き。
結局、講師だって、人としての輝きは、どれだけ愛があるか。英語なら必ずできるようになって欲しいとか、自己啓発なら必ず自由に生きて欲しいとか、受講生に対する、心からの愛。その愛の深さに打たれれば、その心の有り様に感動すれば、とことんついていく気になり、「信者」にもなり(弟子入りですな)、やがて独り立ちする日が来る。それこそ講師が望んでいること。独り立ちし離れても、講師はいつまでも心の師だ。

2015年5月29日(金)
 昨日の続き。
目の前の受講生に興味がなく、「山登りが好きなだけ」の講師は、優秀なんだろうけど、近寄り難く、心が通い合える感じがしない。なぜなんだろう…。ずっと疑問に思っていたが、今、わかった。受講生への興味も親身さもない。せっかく、あの人のようになりたいと思って近づいたのに、なあ〜んだと思った途端、その講師に興ざめとなり、「何か違うなあ」という違和感と共に、その人の元を去る。

2015年5月28日(木)
 昨日の続き。
山登りに例えると、セミナー講師たちは山頂への道を示してくれるけど、おぶっては登ってくれない。結局、登るのは自分。ただし、親身な講師は、受講生への愛があり、受講生に私を見てくれていると思わせる。受講生が何百人いようと、講師と受講生とは一対一の関係になる。この時、受講生は愛されていると感じる。ここまで書いて、プロの歌手や俳優も同じだなと気づく。ヨンさまファンは(杉さまでもミッチーでもいいけど)、舞台のヨンさまは自分を見ていると思ってるもんなあ〜。

2015年5月27日(水)
 自己啓発セミナーと英語セミナー。
どちらもセミナーに出ただけでは力はつかない。話を聞いて得られるのは一瞬の高揚感。すぐ消える。高揚感を得るためにリピーターになる受講生も多く、それで金儲けをする講師もいる。まるでコンサートみたい…。私もけっこうセミナーに通っている。どれだけセミナーに通っても、なぜ自分はプロの翻訳家にも通訳者にも、大富豪にも人気者にもなれないんだろう。ずっと疑問に思っていた。

2015年5月26日(火)
 昨日の続き。
ずうっと長い間、自分で自分のことが評価できなかった。数字の競争に明け暮れて、数字以外を見る余裕も力量もなかった。これからは視野を広げ、円熟を目指して生きる。それにしても、働いていた時、隣はライバル、とんでもない競争に巻き込まれていたなあ〜。だからいつも何かに追い立てられるように焦り、興奮し、基本うつだった。

2015年5月25日(月)
 『まんがで身につく孫子の兵法』。
戦い方について、きちんと解説しているではないか。特に自分より力がある相手と闘う場合の突破口。ああ、私間違ってなかった。働いていた時も、自分の強みを生かして、ちゃんと成果を上げていた。自分が見えなかっただけだ。退職間際、情けない成績しか出せないと思い、気落ちしていたけど、事実は違っていた。私らしく達成できていた。むしろ私らしさが開花していた。これでやっと仕事から吹っ切れる。未練なく次のステージに行ける、行こう。

2015年5月24日(日)
 昨日の続き。
昨日見た映画のモデルになったSやかちゃんは気立てのいい子だし、母親も子ども思いの愛情溢れる人。なのにSやかちゃんは知的好奇心のない、刹那的な遊ぶに熱中するギャルになった。「好きなことだけしていいよ」と言い続けた母親の苦しみを思う。小学生からサボってた勉強を高二、高三の2年間で取り返すのは、並みの努力じゃない。つらかったろう。ひるがえって、何が足りなかったか…。幼少期の読書か。

2015年5月23日(土)
 念願のこの映画を見に行く。
爽やかで単純な成功物語だと思っていたら、とんでもない。誰もが苦しみを抱え、つらい映画だった。何回か涙ぐんだが、感動と言うより、つらさに涙した。大学受験とはかくも過酷なものか…。それでも支えてくれ、信じてくれ、励ましてくれる人がいれば、結果はどうあれ、やり遂げることができる。ああ、やっぱり、最後は爽やかな涙だ。苦いけど…。

2015年5月22日(金)
 「夢は目覚まし時計のない人生を送ること」。
S田琢哉氏のブログより。もうギャフンですわ。退職して、だらだら過ごしているつもりでも、まだ時間に縛られている。やりたい時にやりたいことをやる究極の勝手気まま、しかも罪悪感フリーの状態で。ここまで心が解放されてない。まだまだだなあ、私。

2015年5月21日(木)
 このドラマ、最高に面白い。
全力投球で、猪突猛進で、必死でやっているのに空回りなところが笑える。働いていた時の自分を見ているよう。空回りと言われ、250%の全力投球で成果微々だった。私もよく笑われたもんなあ。でも、客観的に見ると、何て魅力的なんだろう。頑張れ〜、一子!

2015年5月20日(水)
 Hメオパシーのレメディ。
ピタッと合えば何か作用し、行動を起こさせ、健康へと向かわせてくれる。人との出会いもレメディと同じ作用があるのでは。例えば、退職を決意させてくれたのはぢんさんのブログ。他にもこの人この人は自分を動かしたと言える。いくら立派な人に出会って感動しても、その後の行動につながらなければ、何もなかったと同じだ。

2015年5月19日(火)
 ざっくりと時間の使い方を考えた。
英語の時間をしっかり確保したい。朝は M本先生でテンションを上げてタイム誌を読み、午前中は最低10〜12時を英語に当てる。今までは午後の時間、英語を読みながらつい昼寝していた。これから午後は日本語読書(昼寝しつつ)。夜はくつろぎ。日曜日は、ふだんできない長時間ダラダラやハープ、ウクレレの練習、映画をDVDで見る。

2015年5月18日(月)
 人間関係のヒント。
「維持しといた方がいいかな」と損得で考えるようなら切る。こんな簡単なことが決断できず、一ヶ月半くらい悶々と悩んでいた。バカ!心から一緒にいたいと思う人とだけ付き合う。ときめくものだけに囲まれて人生を過ごす。


2015年5月17日(日)
 ぢんさんの…。
講演会というよりライブコンサート。リズムに乗り、歌詞に酔い、話に笑い、気がついたらはじけっぱなし。楽しかった。特に「OKの歌」が気に入った。人望なくてもOK、バカにされてもOK、病気抱えてもOK、太っていてもOK、三段腹でもOK、膝痛くてもOK(延々続く)。

2015年5月16日(土)

 ケルティックハープのレッスンへ。
通ってよかった。ケルティック・ハープの音は癒しの音。簡単な音階を弾いているだけで、心身ともに癒され健康になると実感。気は心と、ものすごい感じる。どんなに具合が悪くても大丈夫と、落ち着いていられる。

2015年5月15日(金)
 筋ゆる講習会へ。
行ってよかった。揉む、押す、引っ張る(?)の逆、ほとんど力を入れずにふるふると筋肉を震動させるだけ(これが案外難しい)、身体がどんどんほぐれていき、気持ちい〜い。ぽっぽっと身体が暖かくなり、「血色がよくなった」と言われる。膝の痛みも嘘のように改善された。

2015年5月14日(木)
 退職して一ヶ月余り。
「今が一番いい時だねえ」と退職して数年のD吉さん。今も楽しいけど、特に退職した直後の1,2カ月間、興奮して小躍りしたいくらいだったそうだ。退職すると毎日が土曜日。毎朝起きると、「自由な時間」が黄金色の金貨のように降り注ぐ。

2015年5月13日(水)
 朝8時半からラジオを聴く。
心の師、ぢんさんが出るため。朝からぢんさんの生の声が聞けてよかった。小さい頃、お母さんが幸せそうだった人はがんばり屋にならない、がんばらなくても自分は大丈夫と思えるからということばにはっとする。私もがんばり屋。がんばっても成果が出なくて腐っていた。でも、これが私の魅力だったと気づく。空回りしていると批判された私、この批判は賞賛だったんだと気づく。

2015年5月12日(火)
 Mゲル監督の奇跡のレッスン。
「人のミスを見つけて叱るのは臆病者のすること、隠れた良いところを見つけるのは、はるかに難しいけど、そちらを選ぶ」が特に心に響く。そうか〜。私は冷笑されつつも、良いところを見つけ誉めるという難しいことに挑戦しようとしていたんだ。ただ、観察力が無くてピント外れ、空回りだった。

2015年5月11日(月)
 昨日の続き。
NHK『実践ビジネス英語」テキスト5月号に英作文ワークショップ担当、S籐昭弘氏の英語学習法にほっとする。英語を極めた人は徹底してやっている。毎日、CNNニュースを視聴、タイム誌と英語本を読む。気に入った映画、TEDプレゼンは繰り返し見るなど。カタコトでも通じればいいとばかりにコミュニケーション英語がもてはやされていて、道を見失っていたけど、やっぱ、私の目指すのはこれだ。もうブレない。

2015年5月10日(日)
 英作文力が伸びない。
何年もNHKラジオ「実践ビジネス英会話」の英作文ワークショップの課題文に応募しているのに、最近、入選しなくなった。何が悪い?と悩んでいたら、国公立大学志望のM本君に「英語力が伸びたのは音読のおかげ。中文(200ワード程度)は30回以上音読し、ほぼ暗記。長文は10回以上音読」と言われ、はっとする。「できない」とか「伸び悩んでる」と言う人(私も)は、徹底的にやってない。それだけだ。

2015年5月9日(土) 
 Hメオパシーの勉強を再開。
久しぶり授業見学に行って、ふと、「みんなちがって、みんないい」という詩人、金子みすずのことばが私に舞い降りた。仕事していた時を振り返ると、競争ばっかだったもんなあ〜。発想の根本が間違っていた、というか、苦しかった。もう競争しない。多様な世界を思いっきり楽しむ。

2014年5月8日(金)
 愛と熱意と親身さ。
本からでもひしひし伝わってくる。例えば昨日の日記に書いたE前氏はええ人。山ほどある英語学習本だけど、学習者に愛があるかどうか、読んだらわかる。文章が上手でも、どうせ、才能のある人は違うのよと己と著者との差を感じ、疎遠になる場合もある。たとえ活字でも愛は正直。もっと売れて欲しい本だ。

2014年5月7日(木)
 昨日の続き。
『日本人なら必ず誤訳する英文』(E前敏哉著)。ものすご、面白い。E前先生の「ここをわかって欲しい!」という熱意がひしひしと感じられ、英語学習者への愛を感じる。練習問題はほぼ全滅というくらい難しい。英文を読めてなかったんだ…。ショック。でも、説明が懇切丁寧で助かる。

2015年5月6日(水)
 ゴールデンウィーク最終日。
以前の私なら真っ暗になっているところ、今の私は毎日がゴールデンウィーク。昨日、読了するつもりで、数ページ読んで爆睡してしまった『日本人なら必ず誤訳する英文』(E前敏哉著)、今日は読む。

2015年5月5日(火)
 昨日の続き。
観察と監視はどう違うか。癇に障るやつをじっと監視し、一挙手一挙動を追っては、怒り、腹立ちを増幅させることがある。逆に監視されていると感じることもある。私も監視は割と得意(?)。でも観察は苦手。観察は、先入観をなくして、未知の部分を発見すること、特にいいところを発見することだろうか。

2015年5月4日(月)
 空疎な社交がなぜ嫌か…。
わかった。相手をしっかり見ていないからだ。目の前の人物を観察せず、ただ「いい子や」と紋切型のお世辞ばかり。ああ、白々しい、その白々しさ、空疎さ、嘘…。もう蕁麻疹が出るほど嫌(これが私の課題かもしれないが)。本当に愛があれば、観察するし、描写が具体的になる。それ(その人)についてはいくらでも語れるというくらい、語れるようになる。

2015年5月3日(日)
 昨日の続き。
これ、ほんとに面白かったし、感動した。テーマは「せりふにもっと愛を込めて」だったけど、「愛」と書いてある旗を持って応援する主人公、一子の声援が熱い。落ち込んだり、前の職場の嫌な奴を思い出して、フラバになった時は、この時の一子の顔を思い出して吹っ切る。自分を心から応援してくれる人が一人いれば十分だ。

2015年5月2日(土)
 このドラマも面白い。
仕事とはここまで全力で打ち込むことか…。ぎこちないけど、不器用だけど、苦笑してしまうけど、ここまで自分に打ち込んでもらえたら、人はその時の熱意を身体で(魂で?)感じ、徐々に本気になる。完敗だ。私はここまで打ち込めず、中途半端だった。目の前の世話すべき人たちに惚れ込むことができなかったこともあるけど…。あかんあかん、人のせいにしては。愛せないと思った時に、パッと辞めなかったのは自分の責任。そして、愛せないのもまた、洞察力不足なのだ。

2015年5月1日(金)
 このドラマが面白い。
本屋を舞台に、我の強い新入社員とベテランの副店長とがぶつかりつつ成長するという話。ベテラン女性がかっこいい。生意気な新人に言い負かされながらも、いざ!という時にはしっかり庇う。若いモンに嫉妬する必要など全然なかった。ベテランは輝いている。私もきっとそうだったはず…。

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